新自由主義経済では、政府は経済活動に関与しないとの考えである。従って、鉄道だとか郵政事業などの国営事業を民営化し、経済活動を規制する法律や制度を撤廃することになる。それは、資本を市場の自主性に委ねると、最も資本の効率が良い、との理論に基づいている。確かに資本の効率はその通りだろう。しかしフリードマン理論では、その「市場」には、誰もが平等に参加できることが前提なのである。
処が、小渕内閣の「経済戦略会議」の議長代理として、規制緩和や市場開放の旗を振った中谷巌と言う経済学者が、最近「小泉改革の大罪と日本の不幸」と言う手記を出し、アメリカ流の「市場原理主義」を日本に持ちこんだことを懺悔している。その中で、彼は「自分は、誰もが平等に参加できる市場がある、と思っていた。だが、それが間違いだと気付いた」と言う意味のことを述べている。
金融市場では、金融が緩むと金利が下がる。それで、お金を貸す側と借りる側が平等だろうか。また、労働力が不足すれば、賃金が上がる。では、労働市場は売り手(労働者)と買い手(経営者)が平等だろうか。低金利で、日銀がザブザブと資金を市中に流している。それにもかかわらず、現実は銀行による中小企業への貸し渋りが起こっている。また、日比谷公園には「派遣年越し村」が出現した。これらから見て、金融市場や労働市場が「平等」だと言えるだろうか。
何時の時代でも、お金を貸す側が、お金を借りる側より強い立場に立つ。企業では、経営者が労働者より強い立場に立つ。このように現実の市場では、意思決定の権限を持つ者が優位に立つのは明白である。これが経済社会の現実である。フリードマンの考えるような「平等な市場」などは、多くは存在しないのである。新自由主義経済では、租税の平準化も大きな理論の柱である。税金は、国家による富の再配分だとの考えはないようだ。従って、アメリカでは、レーガン時代に、累進税率の最高税率が26%までに下げられた。その後、最高税率の引き上げはあったが、これがその後のアメリカ社会で、富の偏在を生むことになった。
経済誌フォーブス9月号によると、「アメリカの資産家400人」の総資産額が1兆5千億ドル(約150兆円)に達するそうだ。また、僅か1%の人間が、国全体の資産の約30%を持っている、とも言われている。前述の中谷巌氏は、彼が見た豊かな中産階級の多いアメリカは、新自由主義経済によるものだと思い、市場原理主義、規制緩和の旗を振ったのだが、それが間違いだったと、反省の弁を述べている。
チリでの「実験」の失敗を含め、80年代後半にアメリカ経済が行き詰まったことにより、新自由主義経済は退けられた。だが、01年にブッシュ共和党政権が、新保守主義(ネオコン)思想の経済政策を執り、再び市場原理主義は息を吹き返した。そして、そこで何が起こったかである。金融資本の隆盛と製造業の衰退である。
みんなが汗を流し、工場で一生懸命働いて儲かる会社にしたら、その会社の株式を、金の力で取得した者が、ある日突如として現れ「会社は株主のものだ」と言う。そして、みんなが築き上げた企業の資産を売却して金に換え、株主に高額の配当をする。企業の将来や従業員の処遇よりは、資本=株主を優先する。いわゆる金融資本による生産活動・企業の支配が始まった。全てが資本の論理で決まる金融資本主義である。
アメリカでは、資産家から金を集める投資専門銀行の数が、300以上にも増え、金融業が我が世の春を謳ったのである。これにより製造業は衰退し、極論すれば、生産活動を伴わない経済活動が主となった。そしてコンピュータを使い、金融工学などと言う、怪しげな理論を振り回し、遂に破綻したのである。
ここで改めて書くが、規制緩和や減税(租税の平準化ではない)、そして市場での競争が全て悪い訳ではない。悪いのは、セフティネットも備えずに、フリードマン理論の、為政者に都合の良い部分だけを「つまみ食い」した輩である。
<徳山 勝> ( 2009/01/10 19:51 )